2005-06-01から1ヶ月間の記事一覧

今韓国では、

朴正熙批判が盛んに行われているようです。確かに「奇跡が行われるには陰の部分がある」(スエンさんのおっしゃる通り)。しかし、私服を肥やすことなく、国のために働いた偉い指導者であった、と今、私は考えています。

セマウルの歌

というのがあるそうです。「みんなで早起き、みんなで働こう、それはいいことだよ」というような面白い歌詞で、これも朴大統領が作ったものだそうです。率先して歌って見せたそうです。

それでも

この運動には、朴大統領の「国を豊かにして、みんなが飢えないような社会を創りたい」という情熱を感じます。 朴大統領自身、貧しい農家の息子として生まれながら、努力して学校を卒業、「師範学校」を出て教師をやり、さらに成績のよいものには無料で入学さ…

前回紹介した

植村氏の批評によると、農民を豊かにする上では「さほどの効果はなかった」。為政者側が、農民の意識を変えようという意図で行った「精神運動」に過ぎない、と。 こうした一面もあり得るだろう、と私も推測します。

意図は素晴らしい

これは私の推測ですが、こうした運動の場合、鍵は「指導者」にあると思われます。実力もあり、リーダーシップもある指導者が本当に村人たちのことを考えながら実行していけば、うまくいくし村人も喜んで参加するでしょう。 しかし、そうでない場合、或いは労…

村で尊敬を集めている人

を選んで「セマウル指導者」にしました。この指導者が中心になって、例えば村人に道路作りをさせたり、それまでは井戸を使っていたところへ、水道の設備を作らせたりしました。 セメントや水道管などの費用は国が出し、労働力は村人が提供するというやり方で…

長い間農村では

農閑期になると集会所などに集まってバクチをやる習慣があって、バクチに負けて農地を獲られるとか、いろいろな騒ぎがあったそうです。 朴大統領は、こうした農民たちに自分たちで自分の村を近代化する、という意識を持たせようと考えたということです。

日韓の現代10 セマウル運動

ひさごんさんから、セマウル運動について質問があったので、ソウルの友人に電話で聞いてみました。本では見つけられなくて。

セマウル運動

についても、植村氏は批判的です。 「農村の所得増加や負債の解消などには、さほどの効果は無かったとされる。この運動は一方で、朴政権の維新体制を農村で支えるという精神運動の側面もあった。」と。

しかし、

切手のコバウおじさんをご覧ください。朴政権下の70年代のコバウはやせています。何を蹴とばしているのでしょうか。独裁政権の下で、政治的な自由、言論の自由が厳しく制限された時代の人々の心を象徴しているようだ、とこの本の翻案者である植村隆(朝日新…

その他に

朴大統領の施策として有名なのが、「セマウル運動」です。セマウルとは韓国語で「新しい村」という意味ですが、農民の意識改革によって農村を近代化しようという運動で、1970年に提唱されました。「勤勉、自助、協同」をスローガンとして、生活水準を向上さ…

朴大統領は、

日本からの経済援助に加えて、1965年、米国の要請を受けてベトナムへの派兵を決め、見返りとして米国から巨額の軍事経済援助を引き出します。しかし、73年までの8年間にのべ31万人が参戦し、5千人以上が戦死したとのことです。韓国の若者にとって、朝鮮戦…

面白い切手を見つけました。

これは、今私が参考にしている「マンガ:韓国現代史−コバウおじさんの50年」の主人公、コバウおじさんの50年間を切手にしたものです。 この本は庶民の代表であるコバウおじさんの現代史としてとてもわかりやすいのでお勧めです。コバウおじさんというのは、…

日韓の現代9−漢江(ハンガン)の奇跡 

10日間もごぶさたしてしまってごめんなさい。

日本からの資金で

こうした貧しさを解決するために日本からの資金導入や経済援助を意図して、日本との国交回復を急いだため野党や学生が屈辱外交として反対、大規模な朴政権退陣デモが行われました。政府は非常戒厳令を布告してデモや反対集会を禁止、反対派を弾圧しました。 …

人々の生活

当時は、農作物の凶作、物価上昇などで人々の生活は非常に貧しかったようです。(62年の国民一人当たりのGNPは87ドル) 農業以外の産業はなくアメリカからの援助に頼っていました。 「ぼくたちは食べるものもなくて、ごはんもたけません。」(1964年のベ…

朴大統領誕生まで

軍事革命(*)以後軍部は体制を整備し、どんどん実権を握っていきます。 政権維持のための最大機関として中央情報部(KCIA)を設置、朴の側近(金鐘泌)が初代部長に就任してさまざまな工作を担います。 *1961年5.16 当時国防軍少将であった朴正熙を中心と…

どうやってこの偉業を成し遂げたのか

その政治家がなぜ側近の銃に倒れたのか。さらにその5年前には最愛の夫人が在日韓国人に銃殺されています。そして今、韓国では朴大統領の悪をあばくドキュメントが次々に作られているそうです。気になることだらけ、少しずつ調べていきましょう。

朴大統領時代(1961年〜1979年)について(続き)

朴大統領についてまず思い浮かぶことは、「食べられない韓国」を「食べ過ぎる韓国」に変えたこと、国民を貧しさから救った政治家、ということです。下のニューヨークタイムズ記事は、大統領が射殺される5日前に書かれたものです。 『韓国はいかなる発展途上…

これまでも何回か書きはじめたのですが

どうも思うように進まなくて書いたものも削除したりを繰り返しておりました。というのも、私自身現代の韓国で起きたことについてよくつかめていないのですね。それでついつい、ここへの書き込みが後回しになってしまうのです。そこで勉強しながら書き込んで…

日韓の現代7ー朴大統領の時代

長いことお休みしてしまってごめんなさい。本日再開です。改めましてよろしく。