2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧

竹島問題について

竹島問題について書かねばと思いながら日が過ぎてしまいました。 日本ではもう余り騒いでいません、というより最初から冷ややかだったと思います。 ただ、島根県議会が「竹島の日」を制定したことには、「なぜ?今?」の驚きが走りました。 このサイトでもTo…

ソウルの写真

ソウルには日本の植民地時代の名残りが今も沢山残っています。 これは、国立博物館(旧朝鮮総督府)。 人物の後ろに李朝の王の宮殿だった景福宮の正門が見えます。(2002年10月撮影)ちょっと遠くてわかりにくいですが、堂々として美しい建物です。 次は1994年…

これで植民地時代を終わります。

■これから「解放後の朝鮮」へと続きます。引き続きお読みいただいてご意見、ご質問などお寄せください。

皇民化政策が続きます。

日本の朝鮮支配は最初から同化政策であったが、日中戦争の拡大とともに強化され、このころになると朝鮮人を完全に「皇国臣民」(天皇の臣下となること)化する政策が次々に行われます。 1937年(昭和12) 「皇国臣民の誓詞」の制定。 児童用と大人用が作られ…

植民地時代−日韓の近代25

昨日に続いて植民地時代の年表です。

3.第3期−皇民化政策

1931年 満州事変勃発とともに日本の軍国化が進む。朝鮮人を「皇軍兵士」とする ことが必要 1936年 総督に南次郎、以後強力な皇民化政策が始まる。 学務局長 塩原時三郎(半島のヒトラーと呼ばれる)による「皇国臣民」の育 成が進む ●神社参拝の強要、一面に…

2.第2期−文化政治(武力から文化力による施政へ転換)

1919年 総督に斉藤実、「文化政治」を標榜 1922年 第二次朝鮮教育令公布 ●「三面一校計画」(当時全体で約2500面あり) ●朝鮮人の民族意識を弱めるために日本語と日本の地理・歴史教育 が強化される(朝鮮語の軽視) 1929年 「一面一校計画」に変更。 光州抗…

1.第1期−武断政治(軍人総督による武力による施政) 

1910年(明治43) 朝鮮総督府設置 1911年 第一次朝鮮教育令公布 ●「内鮮共学」 1919年3.1 3.1独立運動おこる。 この抵抗によって日本は政策方針を変更を余儀なくされる。

植民地時代−日韓の近代24 

ちょっと油断したらもう2週間も経ってしまいました。 植民地時代のしめくくりとして、植民地政策の年表を作って見ました。1911年から1945年までの36年間に行われた殖民地政策は大きく三つに区切られます。

写真アップのテスト

画像貼り付けについてテストしています。 この木何の木、気になる木〜〜 昨年仙台の庭園で見つけたへ〜んな木。ご存知の方、教えて。

植民地時代−日韓の近代23

友人のレポートはひとまず終わりました。 友人は今年75歳になりますが、生き別れたお姉さんの写真をいつも持ち歩いています。私が知り合いになったのはかれこれ30年ぐらい前になりますが、その頃見せてもらったセピア色の小さな写真に、お母さんと少年(友人…