植民地時代−日韓の近代23

 友人のレポートはひとまず終わりました。
 
 友人は今年75歳になりますが、生き別れたお姉さんの写真をいつも持ち歩いています。私が知り合いになったのはかれこれ30年ぐらい前になりますが、その頃見せてもらったセピア色の小さな写真に、お母さんと少年(友人)、それに少女(お姉さん)の3人が写っていました。友人の家は特に裕福ではなく子供も多く、友人の学費はお姉さんが働いて出してくれたそうで、友人にとっては特に大事な人だったようです。美人で頭がよかった、とベタ褒めでした。


 植民地政策によってつらい経験をしながらも、友人はとても日本が好きで、日本語も上手に話し、書き、読みます。日本と韓国の技術者の交流にも努力しています。この年代の人にはこのような親日家も多いようです。


 こうした親日世代と反日教育を受けた若い世代との間にギャップが生じるということは、容易に想像できることです。何しろすべてを柔軟に受け入れる小学校時代の教育が正反対なのですから。友人の家庭にもそのことからくるギクシャクが感じられます。これも植民地化が韓国の社会に与えた影響として見落とせないことだと思っています。


 次回に植民地政策についての年表を整理して、この項を終わりにします。