植民地時代ー日韓の近代22

 ◆友人の体験した植民地ー姉の結婚慰安婦問題◆


 1940年ごろから、未婚女性が慰安婦として強制的に連行されるようになりました。
 未婚の娘を持つ親の心配は大きく、早速嫁に出すか、少なくとも婚約でもさせようということになりました。姉はこの時(1942年)18歳で未婚でした。親戚もいない江陵(友人の一家はもともとは北朝鮮平壌近くの出身です。江陵はソウルに近い東海岸の地。)で、結婚相手も容易には見つかりません。両親は神経衰弱になるほど悩みました。
 1943年、幸運に恵まれ、北にいる親戚から結婚相手にどうかと届けられた写真を見て、姉は即座に承諾、19歳で結婚しました。
 姉は、自分で作った刺繍を入れた小さな手提げトランクを持ち、父の手を握って木炭自動車にのりました。母は泣いていました。
 今もこの時の姉の後ろ姿が目に焼きついています。こうして野蛮的日本帝国主義の魔手から見事に逃れることができました。しかし、4年後(朝鮮戦争が始まって)からは誰も会っていません。今生きていれば80に近い。共産主義にもまれ、苦労の一生をどう生きたか全くわかりません。
 慰安婦の問題は、さすが親日家の父をも困惑させました。以後父は余り話をしなくなりました。


@@@慰安婦になった人々の苦難は言葉に尽くせないものであったことでしょう。しかし、友人のお姉さんの場合のように慰安婦になることは逃れたにしても、その後家族と離れ離れになって悲しみのうちに生きた女性も沢山いたに違いありません。
 日本軍による慰安婦連行が、こうした形で多くの家族に悲しみをもたらしたということを忘れてはならないと思います。韓国の人にとっては植民地時代は、今もさまざまに影を落としているということを思わねばならないと思います。