意図は素晴らしい

これは私の推測ですが、こうした運動の場合、鍵は「指導者」にあると思われます。実力もあり、リーダーシップもある指導者が本当に村人たちのことを考えながら実行していけば、うまくいくし村人も喜んで参加するでしょう。
しかし、そうでない場合、或いは労働に参加できない事情にある村人にとっては、労働奉仕は辛いものとなり勝ちです。長年の習慣をそう簡単には変えられないでしょうから、抵抗もあったでしょう。

村で尊敬を集めている人

を選んで「セマウル指導者」にしました。この指導者が中心になって、例えば村人に道路作りをさせたり、それまでは井戸を使っていたところへ、水道の設備を作らせたりしました。
 セメントや水道管などの費用は国が出し、労働力は村人が提供するというやり方で、費用を節約しながら、合わせて農民たちに「自主、勤勉、協同」などの精神を育てようというのが朴大統領の意図だったとのことです。

長い間農村では

農閑期になると集会所などに集まってバクチをやる習慣があって、バクチに負けて農地を獲られるとか、いろいろな騒ぎがあったそうです。
 朴大統領は、こうした農民たちに自分たちで自分の村を近代化する、という意識を持たせようと考えたということです。

セマウル運動

についても、植村氏は批判的です。
「農村の所得増加や負債の解消などには、さほどの効果は無かったとされる。この運動は一方で、朴政権の維新体制を農村で支えるという精神運動の側面もあった。」と。

しかし、

切手のコバウおじさんをご覧ください。朴政権下の70年代のコバウはやせています。何を蹴とばしているのでしょうか。独裁政権の下で、政治的な自由、言論の自由が厳しく制限された時代の人々の心を象徴しているようだ、とこの本の翻案者である植村隆朝日新聞社記者)が解説しています。