その他に

朴大統領の施策として有名なのが、「セマウル運動」です。セマウルとは韓国語で「新しい村」という意味ですが、農民の意識改革によって農村を近代化しようという運動で、1970年に提唱されました。「勤勉、自助、協同」をスローガンとして、生活水準を向上させようということで低利の融資などを行いました。その結果、わらぶき屋根の農家はスレート製のカラフルな屋根に変わり、道路の舗装も進みました。
1976年の政府の広報資料『今日の韓国』には、その成果が次のように宣伝されています。
「数百年間貧困と無気力に陥っていた韓国の農村地帯では、いまや現実そのものの奇跡が起こり、すべての村落は新たな活力と建設意欲に満ちあふれている」

朴大統領は、

日本からの経済援助に加えて、1965年、米国の要請を受けてベトナムへの派兵を決め、見返りとして米国から巨額の軍事経済援助を引き出します。しかし、73年までの8年間にのべ31万人が参戦し、5千人以上が戦死したとのことです。韓国の若者にとって、朝鮮戦争からまたも長い戦争の時代が続いたわけです。

こうした犠牲の上に、朴大統領が進めた経済復興政策とは?「漢江の奇跡」と呼ばれた成功をもたらしたものは?
1.新幹線(セマウル号)を走らせ、高速道路を作る。
2. 製鉄所(浦項製鉄所は日本の八幡製鉄<当時>が全面協力した)
3.ダム、発電所など、産業基盤の整備
など工業を優先し、輸出立国化をはかるもの。中小企業よりは大企業を育成する方式で、日本の開発方式にならったものでした。

面白い切手を見つけました。


これは、今私が参考にしている「マンガ:韓国現代史−コバウおじさんの50年」の主人公、コバウおじさんの50年間を切手にしたものです。
この本は庶民の代表であるコバウおじさんの現代史としてとてもわかりやすいのでお勧めです。コバウおじさんというのは、新聞の4コマ漫画の主人公で、コは漢字で書くと「高」、バウは岩という意味の韓国語だそうです。(岩のような頑固者という意味か?)
作者は金星煥(キムソンファン)、1950年から2000年まで50年間、新聞漫画の第一人者として活躍し、コバウおじさんは連載1万4000回に及んだそうです。    

日本からの資金で

 こうした貧しさを解決するために日本からの資金導入や経済援助を意図して、日本との国交回復を急いだため野党や学生が屈辱外交として反対、大規模な朴政権退陣デモが行われました。政府は非常戒厳令を布告してデモや反対集会を禁止、反対派を弾圧しました。
 そして、65年6月22日に「無償経済協力3億ドル、政府借款2億ドル、商業借款1億ドル以上」とする日韓基本条約が東京で調印されました。
 この条約調印に対しては、日韓両国会とも野党からの反対が強く、日本では強行採決、韓国では与党単独の採決でした。政治より経済を優先すべきだとする朴大統領の信念が大きく働いた結果と言えるでしょう。

■経済復興、飢餓解消のために朴大統領はどんなことをやったのか?⇒次回へ。
 

 

人々の生活

 当時は、農作物の凶作、物価上昇などで人々の生活は非常に貧しかったようです。(62年の国民一人当たりのGNPは87ドル)
 農業以外の産業はなくアメリカからの援助に頼っていました。
 「ぼくたちは食べるものもなくて、ごはんもたけません。」(1964年のベストセラー『ユンボギの日記』より)

朴大統領誕生まで

 軍事革命(*)以後軍部は体制を整備し、どんどん実権を握っていきます。
 政権維持のための最大機関として中央情報部(KCIA)を設置、朴の側近(金鐘泌)が初代部長に就任してさまざまな工作を担います。
   *1961年5.16 当時国防軍少将であった朴正熙を中心とするクーデター
 この間、大統領はユンボソンという穏健派ですが、62年3月に辞任。
 1963年10月の大統領選挙で、ユンボソン(民政党)と戦って僅差で朴正熙民主共和党)が当選します。