李承晩時代−日韓の現代4
■李承晩は親米・反共、反日でもありました
若くから反日・独立運動に従事、1905年に30歳でアメリカへ。ワシントン大学、プリンストン大学で学び、その後もアメリカで独立運動を続ける。45年10月に帰国、48年8月に73歳で初代大統領に就任する。以後反共政策推進。
1948.12 「国家保安法」公布(反共体制確立)
1949. 6 民族主義指導者、金九暗殺
1950.6 北朝鮮軍の南進により「6.25動乱(朝鮮戦争)」が始まる。
(1953.7 休戦協定−李承晩は反対。米・朝・中の3者で結ばれる。)
1952.1 「海洋主権宣言」によって有名な『李承晩ライン』を一方的に設ける。
これによって日本の漁船が頻繁に拿捕された。
■独裁的でもありました
1954.11 終身執権のための憲法改定
*自分の地位を確保するために憲法を変える!まさに独裁者!
1957.10 国語の標準化のための「大辞書」発刊
*日本統治時代は発禁されていた。強い指導力!
■不正選挙が反独裁運動に火をつけます
1960.3 四度目の大統領当選−これが不正選挙だった。
〃. 4 「4.19革命」で退陣、85歳。
●日本支配から解放された時に頂点に達した朝鮮民族の喜び。「欣喜雀躍する白衣の群像が万歳を叫び続けた。ソウルの大通りは人波で埋まり、抱き合って喜びを分かち合った」と私が参考にしている『図説韓国の歴史』は書いています。
しかし間もなく「民族の分断」という不幸に見舞われます。北と南が何度もソウルを取り合って戦場が南北に移動したため、人的にも物的にも甚大な被害を与えました。
+朝鮮戦争による犠牲者
++死傷者
+++韓国軍 99万人
+++国連軍 43万人
+++北朝鮮軍 70万人
+++中国軍 50万人
++民間人犠牲者 南北合わせて200万人
++離散家族 1000万人
●そして思想統制と独裁が、ついに「4.19革命」へ。
でも、この経験は韓国の人々の政治への関心を高めたと思います。市民も戦えば勝てる、という自信を育てました。それが今に生きていると思います。
★当然のことですが、この間日本との国交はありませんでした。この後の大統領が日本との国交を開きます。その大統領とは?