植民地時代−日韓の近代No.18
◆小学校教師だった父の植民地教育◆
*父とは、私の韓国人友人の父上のことです。
●ユニークで熱心な教育
父は非常に熱心に子供たちを教育しました。その様子は、教え子によって今も語り継がれています。父の方針は「遊びながら学ぶ」ということだったと聞いています。知識を教えることにも熱心ではあったが、生活習慣の近代化などにも力を入れたそうです。
●坊主頭の徹底
日本軍の指示で男子は坊主頭、女子は短髪が求められました。一家は、祖父、父、子供全員がそれに従って模範的ヘアスタイルになりました。
父は、生徒にも命じましたが、親たちが承知しません。そこで生徒24名全員を川に連れて行って、生徒の髪をカミソリで剃り落とし、頭に積もった垢を洗い流し、「サクラマーク」の帽子をかぶせました。
父は、坊主頭を衛生上非常によいことだと考えていて、自分も坊主頭になっていました。その写真が残っています。
●田植えの方法
韓国の在来式の田植えは、水田の端から適当に植え付けるというやり方でした。父は日本式に赤い糸で印をつけた紐に沿ってきちんと植えるという方式(紐植え)を教えました。生徒だけでなく、村人にも指導しました。
●夜は村人教育
夕方からは、けやきの木の下に村人を集めて、新学問、植民地政策、改良農法などについて説明したり、意見交換をしたりしました。「紐植え」の効果や、坊主頭の利点などについて説明しました。
しかしーーー
●村人の抵抗
こうした過激なやり方に対する抵抗は強く、次第に村人が近寄らなくなりました。生徒の頭を坊主にした日には夜になって親たちが殴りこんできて、父は3日間も逃げ回ったということがありました。理解者はいませんでした。
★村人が抵抗したのは、韓国人は伝統的な習慣に固執する体質があることと、儒教的観点から日本人を野蛮人として軽蔑視していたことなどが考えられます。例えば日本人がフンドシ一つで泳いだりする姿を野蛮な行為とみていました。
⇒⇒⇒次回からは友人自身の経験です。