朝鮮を植民地にしたのはなぜか−日韓の近現代No.11

 日本はなぜ朝鮮を植民地にしたのか?
 
<その3>征韓論の流れ
 「征韓論」というのは、西郷隆盛らが主張した朝鮮に派兵すべしという論です。
    
     征韓論:内乱を願う心を外に向けて国を興すという遠略(西郷の言葉)

 新政府発足直後は、農民のみならず失業した下級武士たちの不満が渦巻いていました。西郷の出身地である現在の鹿児島県では特に血の気の多い若者が多かったといいます。いつ暴れ出すかも知れないという状況でした。

 そうした不満を外に向けなければ国がまとまらない、その為に朝鮮を攻めて征服する、という主張です。西郷は、当時まだ鎖国していた朝鮮に自分を遣韓大使として派遣せよ、そうすればおそらく「暴殺」されるだろうから、そうなれば征韓の大義名分ができるではないか、と提案し、一旦はそれが閣議で決定されます。1873年のことです。

 しかし、反対意見が強く、征韓はは回避されますが、その2年後には朝鮮を開国させます。


■◆■ところでこの征韓論について今回私が認識しなおしたことがあります。
 私は西郷隆盛の好戦的な性格が生んだ乱暴な思想だと思っていたのですが、実は維新前から多くの人々に支持されていたということです。
 江戸時代の日本人の朝鮮観には、畏敬の念があった反面、日本の建国神話や伝説に根ざす古い伝統的な優越意識もあったといわれています。幕末になると、後者が強調され、征韓論は、統一国家の形成の一環としてくりかえし説かれたというのです。
 ということは、日本を神の国とする優越意識から、明治の指導者には征韓は当然のことと考えられていたということです。西郷だけの突飛な考えではないのです。■◆■

 
 ▲以上の三点がからみあって朝鮮征服へと進んだ、と私は考えています。▲

 
  
 次回からは、日本が殖民地とした朝鮮でやったことについて友人の体験などを中心に見ていきたいと思っています。引き続きお出かけください。お待ちしています。