朝鮮を植民地にしたのはなぜか−日韓の近現代No.10
日本はなぜ朝鮮を植民地にしたのか?
引き続きこの問いの答えを探していきます。
<その2>経済的に新たな市場を求めて進出
日本が朝鮮に開国を迫った1870年代は、世界的な不況によって、それまでの日本経済を支えていた生糸輸出が振るわなくなります。価格も暴落します。
明治政府は軍備増強を急ぎ、増税策をとっていましたから、農民の生活はぎりぎりの貧しさでした。生糸価格の暴落は養蚕農民の生活をさらに苦しいものに追い込み、農民一揆が多発するようになります。
こうした一揆は、単なる暴動ではなく、明治政府の圧制に対する批判として農民たちが命がけで立ち上がった闘争だったといわれています。このような批判をかわし、経済的行き詰まりを打開する必要から朝鮮に活路を求めた、というのが第二の理由です。
“秩父事件”も闘争の一つ
私の住んでいる埼玉県秩父郡も養蚕地域の一つで、質のよい生糸を生産していました。ここでも“秩父事件”として知られる農民3000人による蜂起がありました。
■ついでですが、最近“秩父事件”を描いた映画「草の乱」が完成し、私も見ました。
緒方直人、杉本哲太、田中好子といった人々によって熱い映画になっています。
この話題、もう1日続きます。