朝鮮を植民地にしたのはなぜか−日韓の近現代No.9

 日本はなぜ朝鮮を植民地にしたのか?
 この問いの答えは簡単ではないです。いろいろなことが言われています。sue1217さんが書いているように、真実はわからないのかもしれない。ま、ミステリーを解くようなつもりで、とにかく言われていることを洗い出して見ることにしましょう。
 三つあります。
 
<その1>
 ひさごんさんがコメントしてくださったように、日本自身が西欧列強の植民地になるのではないかという恐怖、というか、西欧の尻尾でもいいから仲間入りのできる国力を持ちたいという願望でしょうか。それで、朝鮮、台湾、やがて満州へと侵攻する。朝鮮の植民地化はその第一歩。

 
 こんな意味の文章があります。
 「わが国は朝鮮や中国など隣国が文明化するのを待っているわけにはいかない。むしろアジアを脱して西洋の文明国と進退を共にした方がいい。朝鮮や中国には、隣国だからといって特別扱いをする必要はない。西洋人と同じような方法で接する方がいい。」

 ええっ?という感じでしょう?
 これは、慶応義塾大学の創設者として有名な福澤諭吉の言葉です。1万円札でおなじみの福澤諭吉先生が書いた、明治18年3月の『時事新報』の社説「脱亜論」のなかの文章です。原文は文語調なので読みやすく直しました。

 日清戦争はこの論理を忠実に実践したものと考えられています。この主張は広く受け入れられた、というより明治の日本をリードしたといえます。

 「脱亜論」は続きます。
 「悪友と親しくすれば同じように悪名を免れない。私は心ではアジア東方の悪友を謝絶する」
 
 朝鮮・中国に対しては、日本も欧米列強と同じように帝国主義国としてふるまうことを提唱しているのです。しかし、福澤は朝鮮の革命家を助けて自分の家にかくまってもいるし、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と人類の平等を説いてもいるのです。

 
 その福澤の提唱は“脱亜入欧論”として人々に強い影響を与えました。日本はこの思想で進み、軍事的に勝利し、列強によるアジア侵略に加担したわけです。

  今でもこの思想は生きているような気がします。私たちは自分の目で見、自分の頭で考える力を持って、過ちを繰り返さないようにしたいものですね。

 
 続きはまた明日。ご質問やご意見がありましたら気軽に書き込んでくださいね。