植民地時代−日韓の近代21

 また歴史に戻ります。今日のテーマは「創氏改名」です。朝鮮の人たちに自分が生まれた時につけてもらった姓名を捨てさせ、日本式姓名に変えさせるという政策についてです。
 
    ■友人の体験した植民地時代ー創氏改名


●強い衝撃、その理由
 韓国には昔から族譜という家系譜があって、各家に伝えられています。これに本貫(ほんがん)というものが書いてあります。例えば金という姓でも本貫(ほんがん)によっていくつかに分かれています。私の場合は「金海の金」です。この本貫が戸籍にも記載されて身許を保証するものになっています。
 従って男女とも姓も名もその人固有のものです。改姓は絶対にやりません。改名はできますが、一般にはやりません。女性は結婚後も姓を変えません。
 昔は、犯罪など不名誉な行いがあると、族譜会議で追放されて、姓を奪われることがありました。そうすると自分で勝手な雑姓を名乗りますが、族譜にないので人間扱いされません。

 このような社会に、1938年ごろから「創氏改名」が要求されました。これは、姓も名も日本式に変えろという命令で、それに従わないものには米の配給を停止する、というものでした。

 韓国人にとっては大きな衝撃でした。朝鮮民族を抹殺するための政策だ、と受け取りました。抵抗するものも多く、姓を変えることは先祖に申し訳ないからと自殺するものもいました。


●我が家の場合
 前にも書いたように、父がひどい親日家であったから真っ先に創氏改名しました。金という姓を金沢としました。
 
 愛国班というものがあって、夜の集まりで創氏改名がまだの人の名前(邑事務所から名簿がくる)が発表され、時代おくれの馬鹿者扱いを受けました。


@姓名に関連して、長男につける名前、次男につける名前として1字は族譜によって決まっている、という話も聞きました。朝鮮の場合、姓名の一字一字に先祖代々に関わる意味があるということです。「創氏改名」という政策が、こうした朝鮮社会の伝統を承知した上でとられたのだとすれば、民族抹殺の意図があったといわれても仕方がない。そのとんでもない野望が、日韓のその後を歪めてしまったと思います。