柳寛順(ユグアンスン)−日韓の近代 No.15

 レリーフの少女はユグアンスン(柳寛順)です。韓国ではグと濁って発音するようですね。

 
 1919年当時、ソウルで学ぶ16歳の女子学生、日本で言えば高校1年生でした。彼女は「独立宣言書」に感銘をうけ、それを持って故郷の天安(チョンアン:ソウルから南へ車で1時間ほどにある都市)に帰って、そこでデモ行動の先頭に立ちます。当然すぐ逮捕されました。そして、獄中での態度によって今も語りつがれる存在になっているようです。
 苛酷な拷問にもひるまず、昂然と頭をあげて「朝鮮独立の正当性」を主張し続け、遂に獄死したといいます。

 このような民衆の抵抗は、一人ユグアンスンに留まらず、大都会はもとより、町からも村からも、山深い僻地に至るまで広がり、“万歳”の声が湧き上がったと伝えられています。
 
 日本軍は、予想に反する抵抗運動の根強さに驚いて、軍隊を増強して徹底的な弾圧を加えます。ソウルなどでは、列強諸国の外交団や報道関係の目につき易いため、中心地から遠い小さな町や村でより苛酷な弾圧を加えたといわれます。

 特にキリスト教徒が狙われ、堤岩里(チェアムニ)というところで行われた教会の焼き殺し事件という暴挙は有名で、“堤岩里(チェアムニ)事件”とわれています。信徒を集めて扉を閉めて焼き殺すという乱暴なやり方で、その時に夫を亡くした妻の悲劇などが人々の心に強い印象を残しています。

 この他にも日本軍が行った数々の残虐行為が伝えられていますが、この位にしましょう。

 
 三・一運動というのは、一人の英雄的指導者の許に民衆が集まって闘ったというのではなくて、多くの無名の人々の独立への意志が一つに合流した民族運動であったということです。ある資料によれば、総参加者136万名、死者6,670名、負傷者14,600名、投獄52,730名。

 
 ユグアンスンの故郷である天安市には1987年に独立記念館が建てられ、日本が行った“身の毛もよだつ”拷問のシーンが蝋人形によって展示されているそうです。ここには「閔妃暗殺」の蝋人形もあるそうです。

 
 8月15日の光復節には毎年韓国政府が解放独立記念の式典を行いますが、それが行われるのもここです。ここは、日本への恨みというより、独立を勝ち取るために闘われた朝鮮民族の熱情と力を表現するために作られたものと考えたい。三一独立運動は日本軍の圧倒的な軍事力の前に失敗に終わったわけですが、闘いに結集された民族の魂は、今も人々の心にある、その象徴としての記念館だと思います。

 
 実際にいらした方があれば、どんな感想をお持ちになったか教えてください。