三・一運動−日韓の近代 12

 韓国では、3月1日が三一節という祝日になっています。
 これは、日本からの独立をめざして行われた“三・一運動”(または“万歳事件”)を記念する祝日です。運動が起きたのは1919年です。
 
 「日韓併合」からほぼ10年の間は、憲兵政治とか武断政治といって、憲兵が警察権を兼ねて、行政権から即決裁判権まで行使するという息苦しい状態だったといいます。3人集まって話をすればたちまち不法集会として取り締まりを受けるほど自由がありませんでした。
 また、農民は土地を奪われ、日本から送りこまれた農業移民に圧迫されていきます。

 
 こうした状況下で、朝鮮の人々は、国権回復を切望し、自主的発展への熱情を胸に秘めて、苛酷な生活に耐えていました。そこへ東京から決起を促す使者がやってきます。

 つまり、この独立運動は、在日留学生たちが東京で行った“二・八独立宣言”から始まったのです。その頃アメリカ大統領ウィルソンの「民族自決宣言」が発表され、それに勇気づけられた在米朝鮮人が立ち上がり、それを日本の英字新聞で知った在日留学生が立ち上がり、2月8日に神田の朝鮮キリスト教青年会館に約600名が集まって、歴史的な独立宣言式を行ったのです。

 そして、同志の一人が密かにソウルに渡り、宗教関係者に呼びかけ、「三・一独立宣言書」を草し、2万枚余り印刷します。3月1日、民族代表33人が「独立宣言書」を朗読し、ソウルのパゴダ公園に集まった民衆が“独立万歳”を絶叫したといいます。

 
 日本官憲はただちに指導者を逮捕し、民衆に実弾を射ち込みますが、民衆はひるまず、運動は全国に広がっていきました。そして4月には日本から軍隊が増強されて徹底的な弾圧が行われます。しかし、運動は1年近く続いたそうです。

 
 3月1日は、民族の独立への思いと戦いを象徴する記念日なのです。

 
 8月15日は、ひさごんさんのおっしゃる通り、日本の植民地支配からの解放を記念する祝日ですから、年に2回は必ず日本の支配を思い出す、と韓国人の友人から聞いたことがあります。新聞やTVもその日には何かしら関連の報道をしたり、記念番組をやったりするそうです。